パワハラを受けているあなたへ。今すぐ逃げてください。パワハラを受け続けた自分の実例
これは、今勤めている会社の前に勤めていた会社での話です。
目次
未経験業種への転職
今から言うと前々職の頃の話。
当時勤めていた会社は、社長が一代で築いた会社。
まあ、いわゆる一族経営の会社でした。
一族経営というと社長がワンマンだったりといい印象がありませんが、まさしくその通りでした。
本社は別の場所にあり社長はそっちにいたので普段はあまり関わることがありませんでしたが、年に何回かはいわきにある事業所に来ることがありました。
社長が事業所に来ると事務所スタッフは会議室に集められるのですが、そこでは社長からのありがたいお言葉がありました。
それが、他の部屋まで筒抜けで怒鳴られる説教タイムなんです。
自分は事務所スタッフで入社したものの、試用期間中だったので会議には呼ばれることはありませんでした。
しかし、こんなワンマンな社長が牛耳っている会社に正社員で入って良いものなのか…と考えるようになりました。
その会社では入社してすぐ辞める人が多いので、試用期間は1年という事でした。
(給与面に変更は無し。ただ単に契約社員か正社員かの違いのみ)
今にして思えばその時点で怪しかったのですが、確かに自分が在籍した1年半で7人ぐらいの人が入ってきては辞めていました。
そして自分から後に入ってきた人からは試用期間が3ヶ月になったので、自分だけが1年の試用期間を適用されていました。
さらに言うと、総務がテキトーだったので、1年経っても正社員登用手続きがされず最後の最後まで契約社員のままでした。
契約社員故に辞めやすい環境だったのもあり、その期間に転職活動をする事に。
転職サイト、転職エージェント、ハローワーク等々ありとあらゆる手段を使い、最終的に目に入ったのがとある企業。
一般的にはあまり知られていませんが、その業界では国内シェアトップの製品を製造している企業の子会社でした。
一族経営の企業から見れば、大手企業の子会社なら職場環境も良いのでは?そう思い、その企業に応募する事にしました。
募集内容は、生産管理でした。
生産管理自体は経験がありませんでしたが、募集要項によると未経験可。
そして、AutoCADが使えると尚良しとのこと。
このブログのプロフィールでも書いていますが、自分は最初の会社で設計を5年経験しており、しかも使っていたのはAutoCAD。
これ幸いと応募し、2回の面接を経て無事に内定を頂きました。
それと同時期、会社での週1定例会議中に会社のお偉いさんが
「イガリ君が入社から1年半経っているのに、どうして正社員になってないんだ!」
というお叱りが飛び、上司が正社員手続きの件で個人的に呼び出されたタイミングで退社を申し出ました。
契約社員だったので若干の引き留めがあっただけで、すんなり退社が決まりました。
2015年9月末日をもって退職しました。
未経験の職種
という事で2015年10月、無事に次の会社へ入社しました。
その会社は本社は郡山にありましたが、自分が配属されたのはいわき事業所でした。
本社には当時50人程の社員がいましたが、いわきは30人程度でした。
生産管理ってなあに?という状態で入社したので、事前に本を買ったりして勉強していましたが、一般的な生産管理とはちょっと異なっていました。
製造業だったのですが、作っている製品の性質上違ってしまうのです。
そして配属された部署が業務課という名前なので、間接の仕事をオールマイティにこなす部署でした。
業務課は本社といわきそれぞれにあり、いわきの業務課は5人でした。
うち自分を含めた3人が一般社員で、1人が女性の主任、そして1人が課長でした。
ここではH課長とします。
部長以上は本社の所属だったので、部長以上は普段は本社に居ました。
入社した翌月には歓迎会も開いてもらい、仕事がわからないながらも、H課長の指導のもとでそれなりにやっていました。
H課長とはそこそこ仲良くやっており、プライベートでも家に行ったりしてました。
そして入社から数ヶ月が経った頃、同じ業務課の1人が会社を辞めることになりました。
その方は倉庫管理・発送・荷受けを担当しており、その人が辞める代わりに自分がそこを担当する事になりました。
2016年4月から倉庫担当になり、H課長の手も借りながら何とか仕事をこなしていました。
そしてゴールデンウィーク明けに、全てが一変しました。
無視
ゴールデンウィーク明けの朝、業務開始と共に今まで開けたことのない倉庫の鍵の場所を聞くために、H課長に話しかけました。
ところが、明らかに聞こえているのに無視。
何回か話しかけると、無言で鍵を渡されました。
その時は、
「あれ?H課長、機嫌が悪いのかな?」
ぐらいにしか思いませんでした。
何しろ、連休前は普通に話してましたし、連休中はH課長と特に関わりが無かったからです。
特に怒らせることもしてないはず。
しかし、その日は結局課長が自分と話すことはありませんでした。
その後も結局、H課長が自分と話すことは極端に少なくなりました。
コミュニケーションが極端に少なくなった結果、仕事にも支障が出まくり、次にH課長から怒られる事が多くなりました。
結果、仕事がやりずらくなってしまいました。
困ったなーと思っていると、別部署の課長(T課長とします)が
「イガリ最近辛そうじゃないか?話聞くぞ」
と言ってくれました。
自分はその人に素直に、今のH課長との関係に困っていると相談しました。
これが火に油を注ぐ事になろうとは思わずに。
T課長に相談した内容が、H課長に全てバレる
実はH課長は、T課長とツーツーの関係でした。
H課長がT課長に頼んだのか、それともT課長が気を利かせて自分から話を聞いた上でH課長に話したのかは不明ですが、とにかくT課長に話した内容が全てH課長に筒抜けでした。
その結果、H課長は自分に嫌悪感を示すようになりました。
そしてどうなったかというと、自分の仕事が無くなりました。
業務課では主な仕事を全てH課長が回していたため、自分もH課長に指示を仰いて仕事をしていました。
ところが、その事件以降課長に指示を仰いても
「お前にできる仕事は無い」
と言われるだけで、何も仕事が無くなりました。
するとどうなるのか。
H課長からは
「どうしてお前は何も仕事をしないんだ!」
と怒られるようになりました。
怒られるならまだしも、怒鳴られるのです。
それも、みんなの前で。
事務所の中で、事務所中に響き渡るよに怒鳴られる事も日常茶飯事でした。
「あいつ(自分のこと)は何してるかわからない」
と言われ、自分だけその日1日何やっていたかを書いて提出するように言われました。
でも仕事がないわけですから、書けないわけですよね。
その報告を見て、さらに怒鳴られる。
完全な八方塞がりです。
何をしても怒鳴られる。
日中怒鳴られ、残業時間になれば怒鳴られ、1日に2〜3時間怒鳴られるのが普通になりました。
そんな生活が7ヶ月程続き、いよいよ限界が来ました。
課長の休みと、自分の休み
時は2017年1月。
インフルエンザが流行し、H課長もインフルエンザにかかり1週間程の休みになりました。
H課長と1週間顔を合わせなくて済む生活に、正直ホッとしました。
H課長が休みの間、普段はH課長が一人で回している仕事を、代わりに回すことになりました。
1週間H課長の代わりに仕事をこなして気付いたのですが、自分は生産管理の仕事が嫌なのではなく、H課長が嫌なんだと。
やっぱりH課長は嫌だ。それが自分の素直な気持ちでした。
そんな快適な生活も、翌日からH課長が出社するという話が聞こえてきた事により、終わりを迎えそうになります。
そして、同時に仕事でとあるミスが見つかりました。
すっかり忘れていた仕事が見つかったのです。
「明日H課長が出社したら、また怒られるなぁ…。」
そう思ってその日は就寝。
夢でも、H課長に激怒される夢を見ました。
びっしょりと寝汗をかいて起きました。
それぐらい追い詰められていました。
翌日朝起きると、ひどい倦怠感。
熱を測ると、39℃近い高熱。
これはインフルエンザかと思い、その日は仕事を休むことに。
その会社では直属の上司に休む連絡をするルールになっていたので、その日から出社予定だったH課長の携帯に電話をしますが、当然無視。
仕方なく会社の事務所に電話をして、出た別部署の部長に連絡。
「インフルエンザだったら電話ください!」
と言われ、
「わかりました」
とだけ答えました。
その日は車も運転できなかったので、親に病院に連れていてもらいました。
病院でもお腹を壊し度々トイレに駆け込む有様。
病院の先生からは
「インフルエンザの検査も陰性だし、胃腸炎じゃないかな?」
という診断を受けました。
その日は電話をする元気もなく、インフルエンザじゃなかったしいいかと思いそのまま寝ていました。
(今思えばこの判断も失敗でした)
翌日、相変わらず熱もあったため、休むために会社に電話。
胃腸炎とのことでしたと伝え、休みを取りました。
当時、会社から貸与された携帯電話を持っていたのですが、何も考えず寝ていたかったのでサイレントモードにして寝ていました。
夕方目が覚めると、熱はすっかり下がっていました。
会社携帯をふと見ると、H課長からメールが入っていました。
H課長からは
「胃腸炎はウィルス性なのか、そうじゃないのか?総務が知りたがっているので連絡するように」
と書かれていました。
そうは言われても、ウィルス性かどうかなんて聞いてないもんなぁ。
翌日病院へ行き事情を説明すると、先生からは
「ウィルス性かどうかは、検査をしていないからわからない。今から検査をしても数日経っていて正確な検査ができず、検査費用も自費で2万円程かかる」
と言われ、そのまま帰ってきました。
そして、その旨をそのままH課長宛にメールしました。
この時、総務が知りたいとメールに書いてあったので、CCに総務課長を入れてメールを送りました。
数時間後、H課長からメールが返ってきました。
その内容を見て、完全に心が折れました。
イガリ様
Hです。
本件、この報告は工場長からも言われていたはずです。なぜ、報告が今頃なんでしょうか?
あなたは、誰の指示ならすぐに対応ができるのでしょうか?
会社をなめてます。
自己中心的すぎる行動です。
お前いいかげんにしとけ。
このメールを見て、
「あっ、もうダメだ」
と思いました。
もう怖くて、これ以上H課長のもとでは働けない。
そのまま会社携帯の電源を切り、翌日の日曜日、会社の総務課長宛にメールを送りました。
M課長様
お疲れ様です。
業務2課のイガリです。
休日、かつプライベートのアドレスからで申し訳ございません。Mさん、申し訳ございません。
限界です。
26日、27日に胃腸炎でお休みした際の件について
報告したメールに対して、
Hさんから添付ファイルのようなメールが返ってきました。
怖くて会社へ行く事ができません。
昨日から一睡も出来ていません。
私のメンタルが弱いのは認めます。
ごめんなさい。
ちなみに上でわざわざ添付ファイルでH課長からの返信を送ったかというと、上で書いているH課長からのメールは、よく見ると自分が入れた総務課長へのCCが外された状態で送られてきました。
つまり、H課長は自分が送っている内容がマズいと認識しながらメールを返してきたのです。
今考えても、このH課長の行動は腹立たしいです。
そして翌日の月曜日、総務課長に電話をして伝えました。
「すみません、もう会社に行けません」
と。
その日は仕事はお休みし、前日に送っていたメールを確認した総務課長から連絡をもらい、後日社外の喫茶店で総務課長と役員と自分の3人で面談をする事になりました。
退職か?休職か?
そして面談当日。
喫茶店に入り、今回の騒動になった経緯を聞かれました。
以前から総務課長にはH課長との事については相談をしていたので、すんなりと話は通じました。
そして、総務課長から
「今後どうしたい?」
と聞かれ他ので、
「今すぐ退職させてください」
と答えました。
とにかくこの状況から抜け出したい。
その一心でした。
その日はそこまでで、その後の話は後日ということで帰宅しました。
帰宅してからよく考えると、このまま辞めたら単純に無職なんだよなぁ。
無職の状態で面接に行ったら、印象が悪くなるかも。
それなら、たとえ給料が出なかったとしても、今の会社に在籍していた方がいいかも。
喫茶店で会ってから次の日、会社から
「本当にすぐ辞めたい?」
という電話がかかってきました。
「本当は辞めたくないんですけど、今は次の事が考えられない。時間が欲しいです」
と全く思ってない事を答え、その結果休職する事になりました。
休職に対し、心療内科に通院し診断書をもらってくるように言われました。
しかし、実は既に手元には診断書がありました。
実は、以前にも同じように会社に行けなくなったことがありました。
その時は1週間休んで復活したのですが、その時色々と気を遣ってくれた会社の人が
「いいか?お前は今心の病気だ。心が風邪を引いてるんだ。次に同じように会社に来られなくなったら、この病院に行け。ここは比較的軽い人が通う病院だから、薬も軽いのが出るから。」
そう言われて、とある心療内科を教えてもらっていました。
そして今回会社に行けなくなったのを機にその病院へ行き、適応障害で休職1ヶ月という診断書を既に入手していました。
そのため、その診断書を提出し、まずは2月いっぱいの休職に入りました。
休職中の過ごし方
という訳で休職したのはいいものの、どうやって過ごそうか。
今思えばゆっくり休んでいれば良かったのですが、自分はすぐ転職活動に入りました。
正直焦っていました。
自分の中では『無職=悪』という式が成り立っており、一刻も早く次の仕事を探す必要があると考えていました。
そのため、休職中はすぐハローワーク通いをしていました。
毎日9時にハローワークへ行き最新の求人を見て、良い求人があれば応募。
何もなければそのまま帰宅という生活をしていました。
当時からハローワークの求人はインターネットで検索することは出来ましたが、インターネットで探せる求人は1日遅れで更新されていたため(今はどうだか不明)、ハローワークへ行って探していました。
そして、何社かへ応募をしていました。
ところが、結構多かったのが書類審査落ち。
思ったより面接へたどり着ける求人はありませんでした。
逆に書類審査を通過して面接へたどり着けた求人は、ほぼ内定をもらえていました。
しかし、そういった求人は正直自分が活躍できる光景が想像できない求人でしたので、辞退していました。
その時点での年齢は30歳。
この転職が最後になるであろうと思っていたため、求人は厳選していました。
「それなら、応募前から厳選すれば良かったのでは?」
と思うでしょうが、それには理由がありました。
「お前は一体何が出来るんだ?」
それは、H課長に仕事中よく怒られていた内容。
H課長にはよく、
「お前は一体何が出来るんだ?何の仕事なら出来るんだ??」
と言われていました。
呪文のように連日唱えられていたこの言葉に、
「自分は何も出来ない」
と思い込んでいました。
そのため、応募していた求人は特別な資格や技能が必要ない求人への応募が中心になっていました。
一番簡単なのは今までで一番職歴の長い設計の仕事に応募することでしたが、また設計の仕事に就いても自分は何もできずにまたH課長から受ける叱責を繰り返すのは嫌だと思うようになっていました。
たいぶメンタルがやられていた証拠です。
結局、そのようにして求人に応募しては落とされる or 内定をもらっても辞退するという事を繰り返していました。
(大半は書類落ちでしたが。)
そして、そうこうしている内に3月になりました。
会社から
「一度産業医の診察を受けて欲しい」
と言われたので産業医の先生が開業している病院の駐車場で会社の総務の人と待ち合わせをし、受診しました。
そして3月はどうするか聞かれたので、再度3月いっぱいの休職を申し出ました。
後日かかりつけの心療内科で診断書をもらい提出し、3月いっぱいの休職に入りました。
そんな時に、とある決心をしました。
やっぱり設計の仕事がしたい
「やはり、再度設計の仕事をしよう」と。
実は前から気になる設計の求人が出ているのは気付いていました。
ですが、H課長に言われた言葉によって設計の仕事に復帰するという決断は出来ませんでした。
その求人の掲載期限が来るギリギリで、その求人を受ける決心をしました。
そしてハローワークが開庁している土曜日、ハローワークへ出向き求人へ応募しました。
その時対応してくれた職員さんがとても親切な方で、求人へ応募したいという話から身の上話になりました。
自分の経歴や今置かれている状況、どのような思いからこの求人へ応募することにしたかを話しました。
その職員さんは、
「今日は土曜日で時間があるから!」
と言って、丁寧に聞いてくれました。
そして一通り話し終えると職員さんは、
「今の会社の上司(H課長のこと)が原因で、イガリさんの可能性を捨てることは勿体ない!絶対に応募した方が良いです!」
と言ってくれて、その言葉で背中を押してもらえたような気持ちでいっぱいでした。
そしてすぐ履歴書や職務経歴書を提出し、その後面接を受けて無事に内定をもらいました。その後入社したのが今の会社です。あの時の職員さんのおかげで、今の自分がいます。
本当に感謝しています。ありがとうございました。
満を持しての退職
そして、満を持して退職をすることが決まりました。
向こうも自分が転職活動をしていたことは薄々気付いていたも思いますが、そこはハッキリ言うのは気が引けたので「知人の勤めている会社で働くことにしました」とだけ説明して退職の手続きを進めました。
そして3月末で退社し、4月1日から今の会社に勤めています。会社を辞めて本当に正解でした。
逃げるは恥だが役に立つ
今この記事を見ている人の中には、同じような理由で、今勤めている会社を辞めようか悩んでいるという人は多いのではないでしょうか。
そんな人たちに言いたいのはひと言、
「自分が辞めたいと思ったら辞めた方が良いですよ。」
です。
この出来事があった当時、TBSでは星野源と新垣結衣が出ていた逃げるは恥だが役に立つというドラマが流行っていました。
このドラマのタイトル通りで、『恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切』というのは本当にその通りだと今になって思います。
恐らくこの時辞めた会社でも、きっと
「あいつはダメなやつだった」
「あいつは逃げやがった」
と言っている人がいるんだと思います。
(もちろん聞いた訳ではないので、自分の想像です。)
ですが、逃げたおかげで今の会社と巡り会えたわけですし、今でもこの選択は間違えてなかったと思っています。
もちろん人それぞれ事情はあるでしょうから、例えば養うべき家族がいてすぐ辞めるわけにはいかない人も多いと思います。でも、すぐ辞める以外にも逃げ道はあると思います。
例えば自分がそうしたように、休職すれば条件はありますが傷病手当金をもらうことだって出来ます。傷病手当金があれば、今までもらっていた給与よりは減りますが収入はある程度確保できます。
そういった使える手段は全て使ってでも、逃げた方が良いです。
会社に行きたくなかったりしたら、それは自分の心が出しているSOSのサインです。
そのサインを無視して無理に会社に行き続けると、いずれ心が壊れてしまします。
一度壊れた心は、完治することはないです。
これは自分がそうであったように、正直未だに心は完全には治っていません。
もちろん今では心療内科にも通っていませんが、前より心が弱くなったと感じることが多いです。
こうなってからは遅いです。
一刻も早く逃げてください。逃げることは恥ではありません。
戦略的撤退です。
これは強く言いたいと思います。
会社は何も守ってはくれません。
自分を守れるのは自分だけです。
逃げることは勇気の必要な事だとは思いますが、思い切って逃げてください。
それが正解です。
(余談)自分がパワハラされるようになった理由
ちなみに余談ですが、上でとある日を境にH課長から無視されるようになったと書きました。
これ、実は休職する直前にH課長からどうして無視していたか聞く機会がありました。
それは、いつものように説教されるために会議室に呼ばれた時の事。
H課長から直々に説明されました。その理由というのが、
『会社の飲み会で全員にお酒を注ぎに行かなかったから』
でした。
いや、確かにH課長に無視されるようになる直前と言えば、会社の飲み会がありました。
でもまさか、そんな理由で無視されるとは衝撃を受けました。
しかも、その飲み会にH課長は参加していませんでした。
H課長は、飲み会に参加した誰かから
「イガリは飲み会でお酒も注ぎに行かなかった」
と報告を受け、それで自分のことを無視する事にしたみたいでした。
(正確には全員に注ぎに行かなかっただけで、半数以上の人には次に行きました)
正直そんな理由だったのかい!という衝撃と共に、会社での飲み会での酒注ぎは大事だと思い知りました。
もちろん、今の会社に入社してすぐの飲み会では全員にお酒を注ぎに行ったのは言うまでもありません。
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